一般部門(高校生以上)

最優秀賞

『御所に響く学生の声、永遠なれ』 阿部 松代(神奈川県川崎市)

 「京都って東京よりスゴイじゃん。東京はヒガシのミヤコって書くけど、京都はミヤコのミヤコだもんね」
 十歳になる姪が言うと、京都から転校してきたばかりだという友達の顔がパッと輝いた。
 「京都は長いこと日本の都やってん。ミヤコの精神はずうっと消えへん思うわ」
 幼いながらも京都人としてのプライドが沁みいっているのを感じて、思わず頬が緩んだ。
 十五年ほど前、京都御所を初めて訪れたときのことを思い出した。御所内の広場で、大学の授業と思しき様子で学生たちがサッカーをしたり、部活動のような雰囲気で音楽を奏でたりしている姿に驚いた。御所といえば旧皇居、そのような格式高い場所で、教育活動の一環としてボールを使ったり、楽器を奏でたりする光景が微笑ましく、次世代を育てることを大切にする文化を感じたのだ。
 京都で学生時代を過ごした夫に話すと、「伝統と暮らしの間に垣根がないところが京都のいいところ」と言う。垣根がない分、「京都」を肌で感じ、自然に受け継がれているのではないかなと。ふつうに人が住んでいる家が重要文化財だったりすることも珍しくなく、実際、赴き深い京町家からエプロン姿のオバチャンが出てきた時には唖然とした。
 「隔離するのではなく、開放することで守られている文化って本物だと思う」夫の言葉に町中の光景が蘇った。御所は賑やかな声が響きつつも荒れた雰囲気は感じられなかったし、住宅街に混在する重要文化財も雑に扱われている風はまったくなかった。伝統に包まれて暮らすことで京都人としてのプライドが育まれ、「京都」を守ろうというマナーが自然に培われていくのだろうか。夫は年に一度は京都に「帰る」。まちの空気を吸い、歩いているだけで気持ちの「軸」ができるらしい。御所に学生の声が響いている限り、ミヤコの精神は受け継がれていくに違いないと思う。

京都広告協会賞

『京の光』 戸田 和樹(京都府京都市)

 京町家の格子から入る光は明るく、外の通りの様子がよくわかる。それに対して、外から町家の中の様子は、わかりにくい。三角に切られた格子の形が、京都のくらしの色合いを作っているのである。
 わたしがお邪魔した京町家は、以前呉服問屋をされていた家で、まさに鰻の寝床。通りに面した御店では、のれんをくぐらないと店の様子はわからなかった。
 奥に続く土間を抜けると大きな部屋にでる。坪庭に面したその部屋は暗く、おかみが「しばらく我慢しはったら、目が慣れてようみえるようになってきます」と説明してくださった
 中が暗い分だけ外は明るい。自然と目が庭に向かう。
 通りの喧噪がまるで嘘のような静けさの中に、木の葉の緑と咲く花の赤が際立っている。
 これも、京町家の光の生かし方なのだろう。
 かつて左京区の詩仙堂をうかがった折、そこの額庭の美しさに目を見張ったことがあった。黒く四角に区切られた額の中に、季節がちんと収まっている。時間が止まっているようで、確かに季節は動いている。
 そんな感覚がよみがえる町家でのひとときだった。
 最近は、夜になってもけばけばしい光で満ちあふれている都会の風景。それは、京都でも変わりがない。
 それはそれで、現代の都会文化として認めなければならないだろうが、古くから光を上手に生かして暮らしてきた京都の人々の光文化もなくしてはならないものだと私は思う。
 後世に伝えるべき文化は、そうした何気ない人々の暮らしの中に存在するのではないだろうか。

審査委員特別賞

『昔のままで』 下野 えい子(福岡県福岡市)

 私が高校生の頃、アメリカ映画に夢中で英語を一生懸命勉強していた。
 街のビルの上層階に“レインボープラザ”という所があって来日した外国人や外国好きの日本人が集まる場所となっていた。
 私は英語が話したくてよく足を運んでいたのだけれど、そこに来ている外国人は特に日本語に困っているわけではなく逆に彼らは日本語を話したいんだと知る。
 京都という日本を代表する文化都市を思うとき、私は“レインボープラザ”を思い出す。和食が世界中で食されている今、日本を旅したい外国人も多くいる。
 そして、京都を目指してくる人も多い。
 日本はよくおもてなしと言って、誰かれをももてなそうとするが、京都という古都を未来に残すためには、そのようなものは不要だと私は考える。
 親切丁寧な英語標記の看板や目印。
 例えば、私たちが外国を旅したときにフランス語やアラビア語の下に日本語が添えられていて、便利だと感動する人がいる反面、どうも外国に来た感じがしないと思う人もいる。本当のその地域を見たいのに、日本語で「ネックレス買いませんか、マケトクヨ」と言われるのもなんだか嫌だ。
 私は京都に来る外国の方々も本当の日本を見たいからやって来たのだと思う。
 なので昔のままの京都でいてほしい。
 おもてなしをしすぎては外国の人だって喜ばない。
 日本語が通じなくてもいい。
 向こうが日本に来ているのだ。それが逆に“おもてなし”であると気づく京都になってほしい。そして、日本人にとっても京都がいつまでも昔のままの京都であること、それが大切なのである。

『着物美人のいる風景』 森山 高史(沖縄県)

 久しぶりに京都を訪れ、着物姿の多さに驚いた。レンタル店で着付けまでしてもらうという、その日限りの和服初心者のようだ。実は観光客だという「京風美人」も多い。女性だけでなく、カップルなら男性もレンタル着物だ。観光地ではもちろん、飲食店やバス車内などでも、溶けこんだ風景に見える。
 もともと、着物を着ている人の割合は、京都は多いだろう。日常生活で着用している人も多いだろうが、「制服」として、その職業上の理由で利用している営業用着物も多い。観光客も、それを求めている。京都では着物に違和感なく、誰でも普通に着て過ごせる。レンタルの観光客は、地元で普通に着ることは難しい。特別な日でなくては、目立ってしまう。格好つけていると思われる。
 一般に着物離れの時代と思われているが、潜在的な着物好きは、相当いるだろう。年配者以上に、若い人が憧れている。京都は、その「聖地」なのだ。
京都が培ってきた和の文化が、和と無縁そうに見える観光客を惹きつける。やんちゃ風の女子高校生も、背の高い欧米人も、かしましい東洋系も、着物が似合っている。それらしい所作で歩いている。美人に見える。
 この流れをさらに活用したい。京都を彩る光景の何割かは、京都を訪れる観光客によって醸し出される。それらのニワカ京美人を揶揄するのではなく、京都の風景画として定着させたい。本物の和服京美人と競ってほしい。京都人の和の心に火をつけたい。
 十年前よりも、いまの京都が好きだ。五条坂あたりで着物美人と次々すれ違う。京都の旅の風情にどっぷり浸れる。彼女たちが次に訪れるときはレンタルではなく、マイ着物になっているかも知れない。京文化のマガイモノとせず、ある意味、和の継承者として、京都の日常として、いまの傾向を歓迎したい。

『「おこしやす」の精神』 若杉 直人(京都私立東山高校3年)

 「おこしやす」という言葉を最近聞くことがなくなった。古くから続く旅館の人や年配の人が使うのは聞いたことがあるが、若い世代の人が使うのはまず聞いたことがない。
 「おこしやす」という言葉を聞くと、私はとてもほっとする。現代社会において使用される形式ばかりの「いらっしゃいませ」に対して、「おこしやす」は「遠いところからはるばる来ていただき、ありがとうございます。」といったようなとても温かいニュアンスが含まれているような気がする。この言葉を言われた側は間違いなくその温かさに気付き、ほっとするだろう。
 最近はホテルが多くなり、「おこしやす」という言葉を聞く観光客は少なくなっただろう。「おこしやす」という言葉の中には京都の温かさが含まれている。形式された現代社会の中に少しでも人の温かさを残すために、我々は「おこしやす」を守っていくべきだと思う。そして、京都に観光に来る人々にぜひ温かい「おこしやす」を体験して欲しい。

『鴨川LOVE』 清水 香実(東京都)

 京都はマイナスイオンシティである。その主は鴨川で、「ゆく川の流れは絶えずして」、歴史とともに存在してきた。
 私は中学・高校の六年間、京都の学校に通っていた。悩み多き青春時代、放課後によく鴨川に寄り道していたことを覚えている。
 バスを降りて、河川敷への石段を下りる。独りになりたい時は出町柳へ、人の活気が恋しい時は四条へ。自転車で通り過ぎる人、犬を散歩させる人、写真を撮る人。子どもたちのにぎやかな声がする方に目を向ければ、対岸とこちらをつなぐとび石を、何人もの子どもが往復している。そう、あの遊びは妙な達成感があるのだ。
 水が流れる音に耳を集中させる。どうして落ち着くのだろう。私以外にも、そう感じる人がいるに違いない。もしかして、京都が1000年以上都として栄え、または雅な観光地として不動の地位を築くのは、この鴨川が醸すマイナスイオンのせいではないかしら。三方を囲む山がイオンを封じ込め、この街にそれを蔓延させ、時間の流れをゆっくり感じる雰囲気を生み出しているのではないかしら。
 鴨川こそ京都の遺伝子だ、と私は感じている。10年前、制服姿の私でも、堂々と寄り道ができた場所。煮詰まった気持ちを水に流して、再び元気になれた場所。きっと100年後にも、私のような子がいるに違いない。だからその子を救うためにも、鴨川にはそのままでいてほしい。あの風景は変わらないでほしい。澄んだ水も、河川敷の道も、見上げれば遠くに架かる橋も、両岸に立ち並ぶ日本家屋やレトロなビルも。それが、今は遠くで暮らす私の、何よりの願いだ。

小中学生部門

最優秀賞

『昔からつづいている京都のちえ』 橋口 諒太郎(京都市立御所南小学校3年)

 ぼくは、京都について学習して京都のみ力を知るまでは京都はふつうにある町だと思っていました。それから京都についてあまり考えたことがありませんでした。
 そこでぼくは、かがやきの学習で「京のみ力」という学習をしました。そこで、ぼくは、ちえというキーワードを見つけました。わがし作り体けんで見つけたちえは、きれいに見えるように作って「買ってみよう。」と思ってもらうことです。そして、きれいなだけでなく、本当においしいからです。その二つのことから買った人がよろこぶようにとちえがありました。次にりゅうおう園というお茶屋さんでは、わがしのちえとはちがったちえがありました。そのちえはお茶をのむ時にはかならず二回ぐらい横に回すというものです。それは茶わんには絵があり、その絵がきれいに見えるためだそうです。そのちえは、れいぎ正しくするちえだと思いました。これらのことは人のことを思うちえだと思いました。ほかにも京町家ではじじんで家がつぶれないように石の上に家があります。うなぎのねどこという細長い家の形なのですずしくエアコンを使わなくてすむ、地きゅうにやさしいというちえもありました。京りょうりでは、はもをほねきりというわざで食べやすいようにしているちえがありました。竹田つけものというつけもの屋さんでは、こまめにいろんなきせつにあった野さいやしゅんの野さいを使っているのでおいしい物がたくさん食べられるというちえがありました。これもよろこんで食べてもらうというちえだと思いました。
 学習して「すごくよいちえ」がたくさんありました。みんなに京都にはむかしからちえを使っているか知ってほしくなりました。まだ知らないちえがあるかもしれません。ぼくは、見つけたちえをのこして、生かしていきたいと思います。

京都広告協会賞

『母なる京都』 井上 美波(大阪市立大桐中学校3年)

 時が止まったかのような落ち着き。それでいて、なめらかに流れゆく時間。日本を代表する観光都市『京都』 には、様々な国と文化を持つ人々が大勢訪れる。もちろん私は京都が大好きだ。いや、それ以上に私は九年間、京都にある病院に通院していたため、私の病気を治してくれる心優しい母のような存在だと思っている。
 そんな母なる京都が、ここ数年語学を修得している。英語に始まり、中国語、ハングル語、スペイン語など、できる限りの言語を操るようになった。少し大変そうだけど、私は応援している。だけど心配もしている。言語の壁を越え、スタイルを変え、日本語とは違う看板や商品に、本来の母らしさがなくなっている気がしたからだ。私が好きだったお店も、いつの間にか閉店し、観光客が求める大量の商品を世界に送り出している。まるで、すべてを欲しがる子ども達に、すべてを与える母親のような感じがしてならない。観光地だから、商売だから、それでいいのも理解できる。しかし、母の持つ知的で情的なやさしさ、争いと繁栄の中の厳しさ、時代を生きた人々の力強さは、そこにはない。
 京都はただの観光都市なのか、いや違う。見て、知って、学びとる。体験し、触れ、感じとる。素晴らしい歴史と文化を残す『学習観光都市』 なのである。そして、笑顔とおもてなしを大切にする日本の文化『和の心の都市』 だと言える。だとしたら、これからも和の心を学び、歴史の母である京都を受け継いでいくのは私たちだ。日本人である私たちが和の心を深く愛し、訪れた人々に感動の連鎖が紡がれるよう、美しい心を育てなければならない。
 心は目に見えない。でも京都に来たら、心に出会える。それを大切に、京都はKYOTOへと発展してきた。そう、京都は日本の母であり、愛される世界の母として、これからも人々を優しく出迎え続ける。私たちが受け継ぐ遺伝子『和の心』 と、ともに。

審査委員特別賞

『京都には京都のおもてなし』 小谷 美陽(京都市立御室小学校6年)

 『めっちゃ、うるさいんやけど!!』 イヤホンで音楽を聞きながらバスに乗っていた私は、心の中でさけびました。中国人の方と思われる外国人観光客が、タブレットの音を大きめで聞き、大きな声でしゃべっています。バスに乗っている他のお客さんは、迷惑そうな顔をしていますが、当の本人たちは、全く気付いていないようです。ここは、世界でも有名な古都、京都です。私は注意しようか、迷っていました。
 私が注意しようか迷っていたところ、髪の長さがセミロングぐらいのおばさんが、人差し指を唇にあてて、やさしくほほえみました。すると、観光客の方は、えしゃくして、静かになりました。「おばさんすごいなぁ。」「私のかわりに言ってくれはった!!」と思いました。
 私は、学校でお茶クラブに入っています。そこで、お茶の心を習いました。お茶をたてる人は、お客様が気持ちよくお茶を飲めるように、心をつくして、おもてなしをします。お茶を飲む人も、お茶をたててくれた人に、感謝の気持ちをこめて、お茶をいただきます。この茶道のような、心のやりとりを大切にしたいと思いました。
 東京オリンピックまで、あと四年。滝川クリステルさんが『お、も、て、な、し』 という言葉を使われて、流行語となりました。私は、「おもてなし」というのは、東京でも、京都でも、違うおもてなしがあると思います。外国人の人にも優しく伝わる注意をしたり、困っていたら、助けてあげるようなおもてなしがしたいです。言葉は通じなくても、心を通じさせる、おもてなしを、私はこれから実践していきたいです。そして、それを、私より、年が下の人にも伝えていきたいです。

『京都に暮らす』 島野 花練(京都市立京都御池中学校9年)

 京都には、多くの歴史と伝統がある。神社や寺院、祭り、伝統芸能、京言葉、京料理、通り歌…数え上げるときりがない。これらは先人達の努力によって今に伝わっている。
 しかし、変化してきたものもある。例えば京都の通り歌は、知っている人によって様々な歌詞がある。長い間に、口伝えで少しずつ変わっていったのだろう。ただ、通り歌が多くの人に親しまれていることは同じだ。私は小学校でこの歌を習い、少し前までは通り名が分からなくなった時に活用していた。次は私が弟や妹に歌を伝えれば、通り歌はあと百年近く守られていくことになる。暮らしの中の京都は、こうやって守り伝えられていくのではないだろうか。
 だが、変化はいいことばかりではないと思う。私の住む町内は、路地があり、木造の一軒家があり、地蔵盆があり、近所付き合いがあり、子供がのびのびと外で遊べる、とてもいい町だ。そんなところにも、最近大きなマンションが建ち、もうすぐホテルも建つ。時代に沿った変化と考えるとしょうがないのかもしれないが、少し寂しい気持ちもする。さらに大通りに出ると、マンションやビルに囲まれた空が見える。町家も減っているという話を聞く。歩いていると、旅館を建てる予定の空き地で発掘作業をしている。京都だなぁと思う。コンクリートの道路を歩きながら、この下には今でも川が流れてるのかなぁ、と思ったりもする。町なみ、という問題に対して私は何をしたらいいのか分からない。でも、通り歌のような身近にある京都は、自分の中で大切にしていきたいと思う。
 私は京都が好きだ。だから、祇園祭の売り子をしたり、伝統芸能を習ったり観たりしているのだと思う。そうやって、私は、京都の過去と未来をつなげる一人となっていきたい。

『受け継ぐために』 角田 有優(京都市立西京高校附属中学校3年)

 先日、私の北海道の友達からあるメールが送られてきた。今度修学旅行で京都へ来るためおすすめの場所を教えてほしいとのことだった。急いで今までの自分の記憶をたどった。だが、どうも返事を書く手が進まない。思いつく場所はどこも簡単に載っているところばかりだったのだ。その上、その場所の歴史や背景にいたってはガイドブックの大きな写真に添えられているちょっとした一言のほうが詳しいくらいだった。せっかくこんなにいい環境で育ったのにも関わらず全くいかせていなかったのだ。
 あなたもこんな体験をしたことはないだろうか。ここから私は京都の伝統を残していくには観光客よりむしろ京都に住んでいる人が「京都」を知っていかなければいけないと感じた。当たり前に過ごしているこの地もまぎれもない京都であり、決して当たり前の環境ではないのだ。お寺や神社が身近にたくさんあることだけではない。京都の人々の温かさやこの地の歴史、どこかほっこりとした京都弁など数えきれないほどの見えない良さを当たり前で片づけてしまってはないだろうか。「灯台下暗し」あなたも知っているこの言葉。こんなことになってしまっては遠く離れた海外の方の方が京都を愛し本当の京都を知っている、そんな矛盾が起きてしまうかもしれない。
 京都の伝統を残す。それは物理的に物を残すことだけが重要なのではない。それらをまずは地元の人が本当に愛し、伝えていくことで自然に受け継がれていくものなのだ。

『京都独特の言葉回し』 小笹 舞子(京都市立西京高校附属中学校3年)

 京都独特の言葉回しといえば、たいていの人の頭には「どす」や「はる」が浮かんでくることだろう。しかし私が言いたいのはそういう言葉回しではない。 
 最近、特に十代の若者の中で、「エセ関東弁」が使われている。「エセ関東弁」というのは、京都生まれの京都育ちでありながら、会話のところどころに関東弁、つまりは標準語を盛り込むというものだ。これは私が命名したものなので、辞書には載っていない。京都人特有の、言葉そのままの意味ではない意味を含んだ言葉を使って自分の思いを伝えるというしゃべり方。悪く言えば嫌味っぽい、よく言えば批判が柔らかい、というような京都人の美徳はどこへ行ってしまったのだろう。
 かくいう私も、バリバリの京都弁を話す、というわけではない。ウィキペディアで「京都弁と大阪弁」というふうに言葉遣いが比べられているのを見ると、私が普段よく使っている言葉が大阪弁に近いことがよくわかる。
 これから日本の中心がどんどん東京となっていく中で、昔日本の中心であった京都に住む私たちが、最も失ってはならないもの。京都を愛する者として、最も保持していかなければならないもの。それは、人と接する中で最も複雑で、最も美しい「言葉」だ。「言葉」は同じ国でありながら、地域の特色を最大限に表わしていると言えるだろう。
 京都に暮らす全ての人の「京都を思う心」が東京や大阪の人に負けないように、古き良き「京都弁」を絶やさぬように、これからを担う私たちが進んで使っていくべきだ。そしてこれからの世界に「古都」としてでない『京都』 を広げていこうではないか。

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